堀田善衛ブーム

あまり本を読む時間がとれなくて、それでも、最近は電車通勤になったので往復20分+昼休み30分ぐらいは読めるようになった。
この途切れ途切れ読書は、なかなかすすまなくて、前に読んでたところを忘れたりするけれど、まあ読めるだけよし。

で、遅れてきた感でいっぱいだけれど、ただいま堀田善衛ブーム。
路上の人」を読んでから、もう止まらない。

電車では「インドで考えたこと (岩波新書)」を読んで、寝る前にベッドで「定家明月記私抄」を読んでいる。
付箋がいっぱいついてる。どっちも来週には読み終わりそうだから、来週になったら付箋の付いたところを引用しておこうと思う。

どうして、こんなに面白いんだろ。学生の頃(20年ぐらい前)に「ゴヤ」をトライして、歯が立たなかった。あれから少しは成長したところがあったってことなのか。腹周り以外にも。

本の天地

弟からの電話がちょっと面白かった。
弟と電話で話すのは年に数回。直接あって話すのも数回。まあ合計8時間/年といったところか。そのうちの5分がこんな会話だった。

  1. 新刊書店で小説を買った。
  2. 買って帰って、天地が茶色くなって汚いことが気になりだした。
  3. 店に持って行って代えてくれといったら、もう在庫がないからしばらく待ってくれといわれた。
  4. 連絡があったので取りに行くと、天地が縮んで表紙がはみ出している。こんなんならブックオフで買うといって帰ってきた。
  5. なんだか腹が立ったので版元の幻冬社に電話した。あきらめてくれと言われた。
  6. アニキ、これはそういうものなのか?

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古都 – 川端康成

古都 (新潮文庫)

再読。以前読んだのはたぶん20年以上前だ。
こういう読書感覚は久しぶりだったなあ。
何かの役に立つわけでもなく、笑えるわけでもないけれど、僕はこういう読書をもっとしていたはずだ。

京都の夏は、東京より照りきびしいけれども、東京では今、日傘をさして歩く人は、まあ、見かけなくなっている。

”照りきびしい”というのがいい。以前はたぶん読み飛ばしているところ。
”きびしい”が”厳しい”ではないところを、いいなと思えるのは、読書経験の積み重ねか。

1960年代の東京では廃れていた日傘は、21世紀に入ってまた使われるようになっているというのもちょっとおもしろい。20年以上前に初めて読んだ頃だって、日傘は廃れていたような気がする。

これは春の一箱古本市で買った。そして来週末、10月10日は秋も一箱古本市

赤めだか – 立川談春

1年以上、積ん読の山に埋もれていたのを、この連休に発掘して読んだ。
赤めだか
いやあ、面白かった。談志=イエモトの描写が特に。高田文夫にいわれたこととしてあったけれど、イエモト根多がたっぷりあるんだから、それでたくさん書いて欲しい。
談春落語を聞いてみたいなあと感じさせる言語感覚。イエモトの言葉「落語はリズムとメロディ」というのは、こういうエッセイでも、例えば小説でも同じだろう。文章のリズム、メロディが居心地がいい。
あ、ちなみに、談春さん(1966年生まれ)は僕(1967年生まれ)とほぼ同い年。同じ東京にいて、ずいぶん違う感覚で10代終盤と20代の始まりを過ごしてるなあというのも面白かった。

一方、いくつか気になるところもある。特に気になったのは、新作落語と古典落語の区別のところ。なんだかわかりにくいなあ、そんなの関係ないよなあとか。古典も最初は新作だったわけで、古典はいつから古典になったんだとか。
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夏への扉[新訳版]

夏への扉[新訳版]

名作の新訳版。やはり名作。翻訳もとてもいい。今よりも常に未来が好きってのも、この夏の終わりにぴたりはまった感じ。

物語の中では2000から2001年にかけてが未来なわけだけれど(原作は1957年発表)、この未来の描写を、あれもこれもないとか、それはまだできてないとか、いろいろ言いながら読む楽しみもある。銀行がネットワークになっていて、どこでも現金が引き出せるようになっている(けどATMがあるわけじゃない)、というのが新鮮に感じたり。

またいつか読もう。