船戸与一だったような気がするんだけどなあ。松本清張だったかもな気がするのは「砂の器」に引きずられているせいだと思うんだけど…
インターネットを検索しても出てこない。自分のメモを検索しても出てこない。で、読んだはずの船戸与一の本は手元にない。誰か教えてください。
赤浦じゃなくて、赤崎だった。記憶ってひどいなあ。まあ見つからないのは同じ。巌門の赤崎は違う。
船戸与一だったような気がするんだけどなあ。松本清張だったかもな気がするのは「砂の器」に引きずられているせいだと思うんだけど…
インターネットを検索しても出てこない。自分のメモを検索しても出てこない。で、読んだはずの船戸与一の本は手元にない。誰か教えてください。
赤浦じゃなくて、赤崎だった。記憶ってひどいなあ。まあ見つからないのは同じ。巌門の赤崎は違う。
先日ちょっと帰省したときに、書庫になっている納屋をなにかないかなあと捜索してきた。なかなか良い本が見つかって20冊ほど持ち帰ってきたなかに、村上春樹の「螢・納屋を焼く・その他の短編」(新潮文庫)があった。
奥付を見ると昭和63年(1988年)3月25日の四刷。1987年が「ノルウェイの森」発売だからヒットを受けて文庫化されたんだろう。確か単行本も持っていたはずだけど売ってしまったのかもしれない。
1987年に二十歳で駒込に住む大学生だった自分がどんな気持ちで読んだのかなあと考えながら「螢」を読んでみた。結構覚えていて、国旗を掲揚する寮の話や、お茶の水本郷駒込を通る長い長い散歩をする場面も覚えがある。二十歳ぐらいで読んだものは、けっこう記憶に定着しているのだな。
最初のページに、
寮は見晴らしの良い文京区の高台にあった。敷地は広く、まわりを高いコンクリートの塀に囲まれていた。
とある。”村上春樹 螢 文京区”で検索すると、阿部公彦さんという方が紀伊國屋書店のウェブに書かれた文章がすぐに見つかる。
阿部公彦 2008-03-24 『螢・納屋を焼く・その他の短編』村上春樹(新潮文庫) ー 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG プロの読み手による書評ブログ
この方は目白の田中角栄邸の隣にあった螢の寮のモデルらしい寮にお住まいになっていたという。僕の1歳年上なので、僕の読んだ頃にそこで暮らしていたことになる。
この文章を書き始めたのは、文庫版の44ページにある文章に引っかかって、あれこれ検索してみたから。
主人公が寮の屋上に上ったときの描写、
狭い空間に腰を下ろし手すりにもたれかかると、ほんの少しだけ欠けた白い月が目の前に浮かんでいた。右手には新宿の街が、左手には池袋の街が見えた。
文京区から右手に新宿、左手に池袋が見える場所があるかな?文京区が北に出っ張っている場所がないかと念のためにGoogleマップでみてみたけど、やはりみあたらない。
新潮社校正部がこんなの見逃すはずがないから作者に確認済みだろう。つまりわざとそう書いていることになる。
どういう意図だったのかなあ。
暮れに友人が昨年読んだ本の中から良かったものと勧めてくれた。
東京では買いそびれて帰省した年末、暮れもおしせまった日に、散歩中に通りかかってここならあるかもと寄ってみた岡崎書房。ちゃんとおいてあったのがまずうれしかった。
幕末水戸藩の下級武士青山延寿(著者の祖父)の家の様子を、著者の母千世から伝え聞いたことを随筆風にまとめたもの。
弘道館の一角にあったというこの青山延寿の家というのが、僕が40年ほど前によく祖父母に連れられてウロウロ遊んでいた場所だということ。そして、60年ほど前には僕の母が中高生時代を過ごした町だということ。その馴染のある町の160年前の様子だと思うとそれだけでなんだかうれしい。
当時の祖父母の家は那珂川を挟んで反対側の岸に建っていたから、弘道館とは直線距離だと1キロぐらいだろうか。那珂川の河川敷へピクニックにいった話などは川べりの風景を思い出しながら読んだ。当時の祖父母の家のあった青柳町は大洪水の後の護岸工事で跡形もないけど。
薄い本なのでガツガツ読むとすぐ終わってしまうけど、ちょっとづつ時間をかけて味わって読むのにいい本だなあと思う。
個人的な思い入れなんてなくても下級武士の実生活の様子というのは、僕はこの本で初めて読んだと思う。細かいところまで気の利いた文章で心地良い。
つかこうへいの芝居は観たことがない。
芝居を観たといえるのは光源寺で年に一回興行していた水族館劇場だけだと思う。これはとても楽しみなイベントだった。そういえば小倉公演にも仲間とツアーを組んで飛行機ででかけた。
この本の中に劇場に観客が入りきらなくて、スタッフが舞台前で桟敷に座っている客に向かって「はい、お尻を上げて右に10センチずれてください、せーのっ!」とやってる場面があって、あっ、これは水族館劇場でもあったなあと懐かしくなった。また観たいなあ。
ぼくは、つかこうへい作品では映画「蒲田行進曲」、小説「広島に原爆を落とす日」の2作にしかふれていないと思う。「熱海殺人事件」は筋を知っているから何かでみたかもしれないけど覚えていない。
1992年頃に小説「広島に原爆を落とす日」を単行本で読んでひどく興奮したことを覚えている。それ以来なんとなく気になっているけど他の作品に接しようと思わなかったのはなんでかなあ。まあこの本を興味深く一気に読んだあとでも、何か他に読んでみようと思わないというのは合わないってことなんだと思う。
以下断片的に。
堀田善衛の娘、堀田百合子と慶応文学部で同級生で、惚れてたようだというのが興味深い。田舎からでてきた自信満々の大学生が、東京の洗練された女子大学生に抱く気持ちが自分にもわかって痛々しくて。つかこうへい撮影のスナップ写真も載ってるけどかわいいもんなあ。
根岸季衣は最初にみた記憶はたぶん「ふぞろいの林檎たち」、まだぼくは子どもだったけれど雰囲気が独特であのドラマの中でもちょっと存在感が浮き上がって感じたなあ。こんな風につかこうへいを経由してたんだな。
三浦洋一もつかこうへい経由とは実は知らなかった。彼も独特の存在感があったな。平田満はぼくにはよくわからない。やっぱりつか舞台の人なのかも。