治るまでに時間がかかる

7月の終わりに盛大に転んで左足と右肩に感じている痛みがまだちゃんと治らない。整形外科でレントゲンを撮ってもらって受診した。特に異常はないからできることは痛み止めシップぐらいとのこと。

ここへきてやっと最近痛くて動きたくない感じは無くなってきたなあ、と思って意識してみると、やっぱりまだちょっと痛い。なかなか治らないなあ。

ちょっと違うところが痛い気がしてきた。こうやって病院通いを始めるのかもしれない。この痛みは無視しておく。

転びやすくなった

50年以上生きているせいか、最近転びやすい。酔っぱらいやすいのもあって、非常に危ない。気をつけなければいけない。あと10年は生きないと、早逝したはずの父親を超えられない。若干不安。

石川県七尾市の赤崎温泉が出てくる小説

船戸与一だったような気がするんだけどなあ。松本清張だったかもな気がするのは「砂の器」に引きずられているせいだと思うんだけど…

インターネットを検索しても出てこない。自分のメモを検索しても出てこない。で、読んだはずの船戸与一の本は手元にない。誰か教えてください。


赤浦じゃなくて、赤崎だった。記憶ってひどいなあ。まあ見つからないのは同じ。巌門の赤崎は違う。

諷諭

遠回しにそれとなく教えさとすこと。

諷喩/風諭(ふうゆ)の意味・使い方をわかりやすく解説 – goo国語辞書

少し前に帰省したときに、蔵の書庫をあさっていると岩波書店の新日本古典文学大系がズラッと並んでいるのに目がいった。

古今和歌集など5冊を選んで持ってきた。さすがに全部持ってくるのは無理。源氏物語を持ってこようなとパラパラみたけどこれもハードルが高い。和歌は比較的読めそうだ。

帰宅して、中1女子とふたりで古今和歌集を読み始めた。わからない言葉も多いけれど、おおむね意味は取れる。脚注も豊富なので意外と読みすすめられる。

その中で出てきた言葉が”諷諭”。


1年前に下書きに書いていた文章を見つける。この書庫は2024年1月1日の能登半島地震でガタガタに崩れて今どうしようかなあ、という状況。

村上春樹「螢」

先日ちょっと帰省したときに、書庫になっている納屋をなにかないかなあと捜索してきた。なかなか良い本が見つかって20冊ほど持ち帰ってきたなかに、村上春樹の「螢・納屋を焼く・その他の短編」(新潮文庫)があった。

奥付を見ると昭和63年(1988年)3月25日の四刷。1987年が「ノルウェイの森」発売だからヒットを受けて文庫化されたんだろう。確か単行本も持っていたはずだけど売ってしまったのかもしれない。

1987年に二十歳で駒込に住む大学生だった自分がどんな気持ちで読んだのかなあと考えながら「螢」を読んでみた。結構覚えていて、国旗を掲揚する寮の話や、お茶の水本郷駒込を通る長い長い散歩をする場面も覚えがある。二十歳ぐらいで読んだものは、けっこう記憶に定着しているのだな。

最初のページに、

寮は見晴らしの良い文京区の高台にあった。敷地は広く、まわりを高いコンクリートの塀に囲まれていた。

とある。”村上春樹 螢 文京区”で検索すると、阿部公彦さんという方が紀伊國屋書店のウェブに書かれた文章がすぐに見つかる。

阿部公彦 2008-03-24 『螢・納屋を焼く・その他の短編』村上春樹(新潮文庫) ー 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG プロの読み手による書評ブログ

この方は目白の田中角栄邸の隣にあった螢の寮のモデルらしい寮にお住まいになっていたという。僕の1歳年上なので、僕の読んだ頃にそこで暮らしていたことになる。

この文章を書き始めたのは、文庫版の44ページにある文章に引っかかって、あれこれ検索してみたから。

主人公が寮の屋上に上ったときの描写、

狭い空間に腰を下ろし手すりにもたれかかると、ほんの少しだけ欠けた白い月が目の前に浮かんでいた。右手には新宿の街が、左手には池袋の街が見えた

文京区から右手に新宿、左手に池袋が見える場所があるかな?文京区が北に出っ張っている場所がないかと念のためにGoogleマップでみてみたけど、やはりみあたらない。

新潮社校正部がこんなの見逃すはずがないから作者に確認済みだろう。つまりわざとそう書いていることになる。

どういう意図だったのかなあ。

黒澤明 「用心棒」、「椿三十郎」、「生きる」を続けて観た

週末を使って録画しておいた映画を3本観た。

「用心棒」、「椿三十郎」は退屈な雨の休日に観るのに楽しくていいな。前にも1回づつ観てて今回2回めだけどまたいつか観るだろう。程よい長さなのもいい。永久保存。

今回初めて観たのが「生きる」。有名なブランコのシーンは見覚えあるけれど、どんな話なのかまったく事前知識なしで観た。

とても良かった。観て良かった。でも例えばこれを20年前、30年前に観たとして楽しめたかなあと思うと疑問。楽しむ以前にちょっと状態の悪いフィルムの状況に最後まで観る気にならなかったかもしれない。子どもを育てている50歳になった今観たのが僕にとっては良いタイミングだったと思う。

胃がんの「が」の発音が全員鼻濁音だったのが新鮮。他にも明らかな鼻濁音が何箇所かあった。最近はあまり鼻濁音使わなくなってきてるってことなのだな。

5万円持って小説家と二人で飲み歩くシーン。部下の小田切みきとデートするシーン。どの店も町も華やかで、自分のしってるバブル景気の頃の六本木や銀座と比べても、洗練さも下世話さも段違い。戦後すぐの東京はあんなに活気があったのかと驚く。

志村喬の顔アップシーンが若干くどく感じたのともう少しタイトな編集がされてるとみやすいのになあ。ちょっとフィルムの状態が悪いところは残念だけど古いから仕方ないけどもったいない。

黒澤映画ではあと「赤ひげ」と「七人の侍」が録れてるのでこれを観るのも楽しみ。