赤めだか – 立川談春

1年以上、積ん読の山に埋もれていたのを、この連休に発掘して読んだ。
赤めだか
いやあ、面白かった。談志=イエモトの描写が特に。高田文夫にいわれたこととしてあったけれど、イエモト根多がたっぷりあるんだから、それでたくさん書いて欲しい。
談春落語を聞いてみたいなあと感じさせる言語感覚。イエモトの言葉「落語はリズムとメロディ」というのは、こういうエッセイでも、例えば小説でも同じだろう。文章のリズム、メロディが居心地がいい。
あ、ちなみに、談春さん(1966年生まれ)は僕(1967年生まれ)とほぼ同い年。同じ東京にいて、ずいぶん違う感覚で10代終盤と20代の始まりを過ごしてるなあというのも面白かった。

一方、いくつか気になるところもある。特に気になったのは、新作落語と古典落語の区別のところ。なんだかわかりにくいなあ、そんなの関係ないよなあとか。古典も最初は新作だったわけで、古典はいつから古典になったんだとか。

以前からうちのクルマには落語が入っていて、ほぼ全部古今亭志ん生。録音の悪いものもあるけれど、長男坊(5歳)も特に「火焔太鼓」、「らくだ」、「まんじゅうこわい」あたりが大好きでちとうるさいぐらい。僕も志ん生の出囃子だけは聞けばわかる。そこに最近、談志の落語をCD5枚分ほど追加した。「芝浜」、「鼠穴」などなど。
で、比べて聞いてみて、談志の凄みというのはあれはなんていうかすげえなあと。リズムとメロディかあと。志ん生ではこういう雰囲気にはならない。一度生で聞いてみたいなあと思うが、まあ僕の無精でかなわないだろう。それも良し。
長男坊は、ピンとこないのか、志ん生以外はそもそも身を入れて聞こうとしない(枕のせいかも)。
実は志ん朝もいくつかあるんだけれど、なんとなくこうなんていうか引っかかりがないというか。つるっとしてるというか、今ひとつのれない。

ともかくクルマのなかで聞く落語はいいです。おすすめ。一人で渋滞にハマってるときに、文七元結で泣いてみ。

これは、確か往来堂で買ったはず。